What are you looking for

ハナレグミ『What are you looking for』
スペシャルインタビュー(聞き手:宮内健)

What are you looking for──4年ぶりとなるオリジナル・アルバムに、ハナレグミこと永積 崇はこの言葉を飾った。「あなたは何を探しているの?」。それは震災以降、永積が自分自身に投げかけていた言葉であり、アルバムを制作していく上で、常に胸の奥に置いていた言葉だという。
永積自身による詞・曲以外にも、YO-KING(真心ブラザーズ)、野田洋次郎(RADWIMPS)、池田貴史(レキシ)、堀込泰行(ex.キリンジ)、大宮エリー、辻村豪文(キセル)といった面々が、さまざまな形で詞・曲を提供した、全13曲の端々から浮かび上がってくるのは〈旅〉というキーワードだ──多彩なサウンドが流れゆく景色の中で、言葉を道しるべにして歌という光で道を照らしながら、何かを探し続ける永積の姿がそこにはある。
待望のニュー・アルバム『What are you looking for』について、永積 崇にじっくりと話を訊いた。

──オリジナル・アルバムがリリースされるのは、『オアシス』(2011年)から4年ぶりになるそうです。その『オアシス』の制作に入るのを前後して、永積くんは個人のプライベート・スタジオを作ったんですよね?

「うん、震災の前の年にスタジオを作って。やっぱり自分の好きな時に作業出来る場があるっていうのは大きくて。ずっとバンドをやってたからだと思うけど、自分が音楽を作る場合はいろんな人に関わってもらいながら作るのが好きで。曲のアレンジも一人で考えるより、いろんなミュージシャンのアイディアなんかをかきまぜながら作っていくのが好きなんです。だから、自由に使える場所を持ってたら、そういうことがよりフレキシブルに出来るだろうなと思ってね」

──ハナレグミとして活動しはじめた初期は、それまでのバンド活動とは別の形態で、一人でも身軽に出来ることをやりたいっていう想いが強かったわけですよね。それが活動を続けていく中で、いろんな人の交流から作品を生み出していくスタイルへと変化していった。アルバムを重ねるごとに、その傾向が顕著になっていますよね。

「それが楽しいって気付いたからなんでしょうね。自分の知らないことと出会った時に、自分自身がどういう反応を見せるのか? そんなセッションみたいな感覚を、いつでも持っていたい。アルバムを作るごとに、自分の中でもはっきりしてきたんだと思うんです。なんかね、結局自分はそういうやり方しか出来ないんですよ(笑)。自分ひとりで積み上げていくと、ホント、すぐに煮詰まっちゃう。それに自分にとっての音楽っていうのは、自己を追究するための音楽じゃなく、その瞬間瞬間で反応していく音楽なんだろうね。ライブにしてもそう。会場にお客さんもメンバーもいて、その場所でどういう気持ちで同じ言葉を発するのかっていうことを大事にして、僕は音楽をやりたいんだなって思う。たとえばお客さん1000人の前と50人の前だと確実に変わるし、どっちのあり方があってもいいと思うし。人とコミュニケーションして、反応しあって作りたいっていう気持ちが強いんだと思う」

──『オアシス』を発表した後は、初のカバー・アルバム『だれそかれそ』のリリースがあったり、So many tearsとのコラボ・ツアーを行ったりと、ちょっと企画色の強い活動が続きましたよね。

「それまでは真っ正面から自分と対峙してたと思うんだけど、『オアシス』を作り終えてある意味で辿り着いたような感覚があって。そこから一瞬、別のところに旅行するんじゃないけど、いろんな人の刺激を受けてみたいなって思ったのかもしれない。それがカバーの場合は、先達が作った曲や言葉の世界に身を投じることだったと思うし」

──『だれそかれそ』のツアーは、スナック風のセットや、歌謡ショーのような演出もあったりと、永積くんもただただ楽しんでた(笑)。

「そうそう(笑)。それにカバーを中心とした構成だったからこそ、映像を使ったり、思い切り振り切った演出も出来たしね。So many tearsとのコラボは、ちゃんとバンドとして確立してる上にヴォーカルとして乗っかって歌う、ワンマン・ライブをずっとやってみたかったんですよ。いいタイミングで、茂木(欣一)さんをはじめSo many tearsのみんなと実現することが出来たのがよかった。みんなで何度もスタジオに入りながら作っていったんだけど、変なアイディアが山のように浮かんできてね。楽しかったなぁ」

──永積くん自身が、肩の力が抜いて楽しめる感じを求めてたのかもしれない。

「そうかも。それに、いろんな人のアイディアをすごく欲してたんだと思うんですよね。人のアイディアに乗っかっていく面白さや、他人に求められてることに応えることもやりたかったし」

──ある意味で『オアシス』というアルバムが第一期のハナレグミの集大成のような作品になったからこそ、次のステップに進むまでは準備期間が必要だった?

「たしかに自分の中で『オアシス』で一回区切りがついたのもあるけど、それ以上に震災があったことも大きかったと思う。『オアシス』は、震災後にレコーディングした部分も多いんだけど、曲はそれよりも前に作っていたから……やっぱり震災の前のことを歌った作品なんだよね」

──震災をきっかけに大きく風景が変わったけれど、『オアシス』に描かれていたのは、それ以前の記憶だったというか。

「うん。だからアーティストによっては震災前に作ったものを新たに作り直したりした人もいたし、僕もレコーディングを全部止めようかなってすごく迷ったんだけど、それでもやっぱり、ここは以前の感覚のままで走りきりたいと思った。そうして出来上がったのが『オアシス』だったし、自分の中であれを作ったことで一つの区切りがついたんだよね」

──たとえば永積くん自身も震災以降、歌うことについて自信がなくなった瞬間みたいなものはあった?

「それはすごくありましたね。地震があった後、正直自分の書いた曲の中でも歌えなくなった歌詞もあったし、作った時とは明らかに違う感覚がひとつ入って、その曲を歌ってることもあった。なんていうか、自分の中で反響の仕方がなにか変わったというか……もっと大きな意味で『音楽ってなんだろう?』『歌を人に伝えるってどういうことなんだろう?』とか、そういう部分から考えるようになって。以前だったら『イェー!』ってただ言えてればそれでよかったんだけど、そこにもうひとつ気持ちを必要とするようになっちゃったのかな。でもね、それは今考えれば、すごく大事なことだったとも思ってて。だから、カバーアルバムを出したりしたのも、まずは他の人が作った曲を歌うことで、その〈歌う〉ってことの意味を確認してたような気がするんだよね。たぶんそれを探すところから、次への一歩がはじまったんだと思う」

──そこから、まさに『What are you looking for』という言葉につながってくる。

「今回、アルバムを制作するにあたって、どこかもう一回ファースト・アルバムを作ってるような感覚があったんですよ。以前と何かが違うなって感覚を持ちながら、新たに物を捉えはじめてる気がするし。言ってることは以前と同じような角度のことだとしても、また何か違う彩りになっていくんじゃないかなって感じてたし……実際自分でも、今の歌のほうがいいかもなって、最近は思ってる(笑)。声とか、歌の響きみたいなところも含めてね」

──アルバム・タイトルにもなっている『What are you looking for』という言葉は、どこから思いついたものなんですか?

「以前「オアシス」のMVを撮影した時に、エキストラとして友達やそのまた友達に来てもらって。そこでたまたま知り合いと一緒に来てくれたFUJIKAYOさんという絵描きの子がいて。彼女が僕の「オアシス」って曲を気に入ってくれて、その曲から刺激を受けたままに絵を描いたらしいんだよね」

──それが、完全限定生産盤のジャケットにも使われている絵なんですね。

「で、その絵のタイトルが〈What are you looking for〉っていう名前だった。そこに描かれたのは『オアシスはどこかにあるわけじゃなく、君の心の中にあるじゃん』っていう、彼女なりのメッセージだったんだよね。そのメッセージが、僕にとっては大きくて。外に音楽の刺激を探しにいくんじゃなく、もう少し自分の内側を覗いてみたいなっていうきっかけを、この絵が与えてくれた」

──しかし、そんなにズバリと言い当てられることってあるんですね(笑)。

「いや、ビックリしたよ(笑)。自分が〈音楽って何だっけ?〉って逡巡してる時に、こういうメッセージが来ると衝撃受けるよね。でも、そう言ってもらえたことで気持ちが軽くなったし、どこかでその言葉がお守りみたいな感じで心の中にあったと思う。それからゆっくりと時間をかけてアルバムの曲をほとんど作り終えて、さて、どうやってまとめていこうかって考えた時、この4年間を振り返ると、この言葉がずっとあったんだよね。ことあるごとに『俺は何を探してるんだろう?』ってところに立ち返って考えてた。だからアルバムには、このタイトル以外に無いなって思って」

──『What are you looking for』というタイトルはもちろん、今回収録された楽曲には、さまざまな場面で〈旅〉というキーワードが浮かび上がってくる。何かを探して求めて、いろんな場所へと移動する……それが内的なものか、外的なものかわからないけれど、探し続けてる姿が映し出されているように感じます。高田漣さんが参加した1曲目の「Overnight trip to Chang Mai」からして、まさに旅を感じさせるタイトルで。

「この曲は、もともと近藤良平さんのステージのために作ったインストで。今回、実はアルバムに収録された13曲以外にも曲を書いたり、レコーディングをしていて。その中で何曲かインストも録ってて。で、アルバム自体を動いてる景色にしたかった。ひとつのシーンに辿り着くまでの道筋を付けたいなって思って、アルバムの最初にインストを収録したんです」

──どこかオリエンタルな薫りもするし、カントリーやハワイアンの雰囲気もある、不思議な質感のインスト曲ですよね。

「今回のジャケットの撮影で、チェンマイに1泊で行ってきたんだけど、タイトルはそこからなんとなくつけた。だから曲を作ってる時は、全然チェンマイを意識してたわけじゃないんだけどね(笑)。僕、ジョナサン・リッチマンが好きなんだけど、彼の曲にはたまにどこの国かわからないようなインストとかあるでしょ? ああいうのがすごく好きで。この曲もチェンマイって言ってるんだけど、バンジョーやぺダルスティールも鳴ってるし。どこの国なんだろ?って感覚になったらいいなと」

──2曲目の「祝福」は、YO-KINGさん詞・曲ともに提供してくれたバラードです。

「いやもうね、KINGは天才だと思う。何度か打ち合わせしたり、メシを食いに行ったりしたんだけど、曲についてもそうだし、さっき話したような、今どういうことを考えているのかってことなんかも、何も話さなかったんですよ。で、次に会った時には、もう曲が出来てた。いきなり〈急ぐな さがすな 勝手に見つかるまで〉っていう歌詞が上がってきた時に、やっぱりすごいなって思って。砂漠を歩いてたら、ばったり仙人に出会って、ものすごい格言をもらっちゃったみたいな(笑)」

──何も話はしてないのに、〈What are you looking for〉という言葉とリンクするものが上がってきたって、すごいですよね。

「そう。だから思わず『KING、天才ですね……』って言ったら、KINGが『天才なんだよね』って言ってた(笑)。もう、すっげえカッコイイ人だなって、シビれたよね。今回どの曲についてもそうなんだけど、詞や曲を作ってくれる人には、こういう曲を書いてくださいってことを僕からは全然言ってないんです。だけど、みんなが自分に向かって、何かを見せてくれてるような気がして。KINGに『どういう意味で歌詞を書いたんですか?』って訊いたら、『いや、パッと思っただけなんだよね』って。実際、どうやって生まれたかを訊いても、まったく脈絡のないところから言葉が来てたりするんだけど、不思議とその全部が自分に向かってきてるっていうか。いやあ、とんでもない人と出会ったなと(笑)」

──「祝福」はギターの弾き語りに近いアレンジになってますね。

「最初にもらったデモから、アレンジは結構変えましたね。最初はKINGのように、ロックな感じでストロークっぽくやってみて、その後に自分でピアノの弾き語りで一度録音したんですよ。それも結構よかったんだけど、もっと気持ちを入れ込みたいなって思った時に、今のアレンジになった。KINGはボブ・ディラン好きじゃないですか? それよりはリッチー・ヘヴンスみたいな、もうちょっと自分の響きに持っていきたいなって思って。リッチー・ヘヴンスの映像とか見てると、すごくカッコイイんだよね。リズムが横にうねりながら言葉をのせてる。自分のタイム感に持っていくとそういう形になるなと思って。そうするとオープンチューニングにしたほうが響きがいいし、より広い景色になるな……そういう感じでアレンジは考えていきました」

──〈急ぐな さがすな 勝手に見つかるまで〉って歌詞も素晴らしいけど、〈究極 孤独 幸福〉っていうフレーズも、ものすごい真理を突いた言葉ですよね。孤独を愛でる/孤独を味わうことの贅沢さこそが、至福の楽しみでもあるし、いかに孤独でいられるかを楽しむかが人生の真髄なんだ、というメッセージすら読み取れる。

「それに日々が旅だとするならば、予期せぬこともたくさん起きるだろうけど、その時にこういう言葉をふと思い出すんだろうなって思う。旅のはじまりにポケットへ入れていくには、最高の言葉だよね」

──3曲目の「旅に出ると」は、大宮エリーさんが作詞を担当しています。

「エリーとはよく遊んだりしてるんだけど、So many tearsとツアーをしてる時に、京都まで観に来てくれて。終演後、一緒にメシを食いに行ったりして。そんな感じで地方で会うことが続いてた。で、飲みながら、最近どんなことを考えているのか、みたいな話ばっかりしてた。たぶん、そんな会話の中で感じたものを、エリーは今回の歌詞に描いてくれたんだと思う。彼女は一気にたくさんの詞を送ってくるんですよ。たしか20編ぐらい送られてきたのかな。その全部に曲をつけて打ち返したいなって思ったけど、さすがに全部は出来なくて。でも、本当にセッションみたいな感じで作りましたね」

──「旅に出ると」は、歌詞がすべてひらがなになってますよね。

「響きで聴ける言葉がいいなって思ってね。エリーは物書きの人だから、歌詞にも文節がある気がする。で、そこからメロディも引き出されてる部分もあったりして面白い。曲から作っていったら、こんなアレンジもできないし、そもそもこんなメロディも生まれなかったと思う」

──歌詞の文字数的にも、いわゆる普通のセオリーにはハマってないというか。だからメロディラインも、ちょっと小節からはみ出るような感じになってて。

「そうそう。エリーの書く歌詞って、より言葉として聴こえてくるというかね。その感じがなんか新しいかなって思う」

──ここ数作のハナレグミのアルバムには、スカやロックステディのリズムが取り入れられた曲が入ってますが、この曲もロックステディのアレンジになってますね。

「ドリーミーな感じになりましたよね。この曲はicchieさんとYOSSYさんに参加したもらったんだけど、アレンジをまったく決めずにみんなでスタジオに入って。その日はリズム隊がいなくて3人だけだったから、『じゃあイッチーさんリズム叩いてもらえますか?』って試しに叩いてもらったのがすごくよくて。それが本チャンのテイクになった」

──そうだったんですか?

「今回のアルバムは、作り方が以前とはまったく変わってて。『あいのわ』に収録されてた「Peace Tree」を録った、入間の米軍ハウスをリノベーションした〈guzuri recording house〉っていう、シンガー・ソングライターの笹倉慎介くんが運営してるカフェ兼スタジオがあって。『あいのわ』とか『オアシス』ぐらいまで、わりとカッチリとした曲が多くなってきてたので、ここで一回また言葉に近いような歌というか、ハナレグミのアコースティックに近いような音にしてみるのも面白いかもねってことで、そこにずっと籠ってベーシックのトラックを録った曲が多いんです。で、そのトラックに、エンジニアの中村督くんが後から音をコラージュで足してくれたり、ある曲で録ってた素材を別の曲にハメたりと、オーバーダビングを結構やったんですよ。その中村くんが出したアイディアを聴いて、僕がそこに別なアイディアを加えて……って感じで、1曲をみんなで回しあったって作っていった。そういう曲が大半で、僕自身はそういうやり方が初めてだったからすごく新鮮でしたね」

──だからなのか、バンド・アレンジがメインになってるけど、どこかに宅録っぽい質感があるのが面白いなって感じたんです。

「エンジニアの中村くんと、笹倉くんのスタジオの相性がすごく良かったんだよね。空気感もしっかり録れてるし、外の音とか部屋っぽい音とか偶然録れた有機的な音を、打ち込みっぽく編集していく。だから自分の部屋なんだけど、どこか異次元にいるような、不思議な風合いになってる曲が多い。それがジャケットのFUJIKAYOさんの絵の色味ともつながってる気がしてて面白いなって思う。外ののような、心の中のような……内観してる部分と外に出ていってる部分の両方が強くあったから、自然とそういう音になっていったんだろうね」

──偶然によって引き出されたものを、あらためて見つめ直して再構築していくような。そうすることで、自分一人では思い描けないような景色が見えてくる。

「そう。だから僕の場合は、プロデュースっていうよりは、みんなで一緒に音を出していく中で生まれた刺激を受け取って、それを他の人へとバトンを渡していく係になりたい。もちろん最初のきっかけとして、そういうことをやりましょうっていう旗揚げはしてるけど、この言葉と自分の作ったメロディを聴いて、YOSSYさんやicchieさんはどういう音を出すのかな、どんな音出ます?って丸投げしてるようなものだから。やっぱりね、それも自分の知らない場所に連れていってもらいたいんだと思う。いつもね。そこで出てきた音に対して、こういう音を足したいなってアイデアがひらめく……そういうことをやりたいんだよね」

──続いて、盟友レキシの池ちゃんこと、池田貴史さんと作った「フリーダムライダー」。マイナーなトーンの曲調は、スーパーバタードッグ時代の楽曲を彷彿させます。

「たしかに! やっぱりバターっぽいなって、懐かしさを感じたよね。俺がまた、池ちゃんの作るマイナーっぽい曲が好きなんですよ。そこに、日本語のファンクネスを感じるというか。池ちゃんはピアノのリフやコードワークも面白いし、実はバターの音楽性のかなり大きな部分を担ってたんだなって、あらためて思うよね」

──この曲はどういう風に作っていったんですか?

「最初のイントロは僕が作って、サビとかは池ちゃんが作った。やっぱり一緒にいる時間が長いっていいですよね。言わずもがなって感じで、伝わるのが早い(笑)。ドラムは菅沼雄太くんで、ベースは真船勝博くん、トランペットはicchieさん。基本は4人でせーので録ったものだけど、途中で音響的にカットアップしてる部分もあったりして。ヒップホップとかサウンド的に効果を入れてる音楽とか好きだし、乱暴に音がブチっと切れるようなのが似合うんじゃないかなって。この辺は、今まで聴いてきた音楽がかなり集約されてる。好きだなって思いながらもなかなか形に出来なかったサウンドを、今回のアルバムで作品として具現化することが出来た感じはありましたね」

──歌詞にも表れてるけど、ブルースからの影響が強い曲でもありますね。

「これは、まさしく実際に旅したことを歌にしたもので……ブルースマンにギターを習いたいと思い立って、一人でニューオーリンズにギター持って行ったんです。そうしたら、ニューオーリンズに俺の思っていたブルースマンなんて一人もいなくて。これじゃいけないって思って、次の日にグレイハウンドバスに乗ってメンフィスに向かって……ちょうどその頃、60年代の黒人公民権運動の流れで起こったフリーダム・ライド運動についての本を読んでて。その本に出てくるところを、全部バスが通っていった。流れる景色を見ながら、マディ・ウォーターズの「My Home Is In The Delta」って曲を聴いていたら、なんだか泣けてきちゃって。その時代の気配がバスの中に立ち上ってきて、本を書いた人の想いも立体的に聴こえてきて……」

──現実的にはブルースマンに直接教えを請うことはなかったけど、グレイハウンドバスに乗って旅することで、思いがけずブルースの本質に触れてしまった。

「そう。結局その答えは自分の中にあったことだった……震災後から4年間、本当にブルースばっかり聴いてたし、ブルースしか聴けない時期があった。それは人の衝動こそが一番確かなものだと、本能的に感じてたからかもしれないね。ただ、僕がブルースみたいな曲を歌っても、ブルースにはならないし、逆に池ちゃんと一緒に作ったはじけてる曲にこういう言葉を載せるほうが、今の時代を生きる僕が返せる何かになる。今の日本に〈フリーダムライダー〉っていうメッセージをつなげるとしたら、この音なんじゃないかと思ったんです」

──5曲目の「無印良人」は、堀込泰行さんが作曲を手がけています。

「10年以上前になるけど、泰行くんと畠山美由紀ちゃんと「真冬物語」を作った時に、飲みの席で泰行くんが『僕、曲書くぜ!』って言ってくれてて。絶対に書いてもらいたいなって思いつつ、なかなか頼むタイミングがなくて、今回やっと実現した。泰行くんは『永積くんには、ポール・サイモンみたいな曲が似合うって』って前に言ってくれたんだけど、この曲のデモも、ポール・サイモン初期のアルバムのようなアコースティックな雰囲気のアレンジで、それもすごくよかったんです。なんだけど、メンバーのところに持っていったら、どんどんアレンジが変わっていって(笑)。最終的には、ちょっとニューウェイブっぽさもある、どこにもない感じに着地したよね」

──歌詞はやっぱり、ドリフへのオマージュ?

「最終的にそうなりましたね(笑)。ただね、途中で俺が『ヘックション』ってくしゃみしてるのは、別に加藤茶さんを意識するわけでもなくて。変なSEを入れてリズムが出来たら面白いよねって話になって、いろいろ試してたの。その中でくしゃみを入れてみたら、原田郁子のツボにハマったみたいで『くしゃみをいっぱい入れたい』ってことで、たくさん入ってるんですよ(笑)。だからサウンドが先にあって、そこから歌詞を書いていったらこうなったと、歌入れの5日前ぐらいに歌詞を書き出したから『もう、ままよ!』って感じも出てるのかも。極限に追い込まれた状態で生まれる言葉って楽しいなって思うし、書いてるうちにめっちゃ楽しくなって。それはスーパーバタードッグの時の歌詞の書き方が出てくるなって思った。リズムにドンドン言葉を当てていける快感っていうかね。やっぱ、俺の血の中にアレあるんだなって。その扉がこの曲でバコーンって開いたね(笑)。ただ、以前だったらリズムとか語呂をもっと合わせていったと思うんだけど、あえて歌詞っぽく書かないほうが今に合うんじゃないかなって思って。〈今日もがんばっていこう、朝ごはんはよくよく噛んで〉とか、一見全然リズムにのらなさそうなんだけど、そういう言葉のほうが、心に残りそうでいいなって。歌謡曲もよくよく聴いてみると、そういうマジックを使ってるでしょ? この流れでこんな言葉出てくる感覚ってすげえなって思ったりね。メロディにのせて、こういう言葉を歌うって面白ぇなって思いながら書きました(笑)」

──6曲目の「11DANDY」は、ちょっと変わったテイストの曲になってますね。

「この曲も1曲目と同じく、近藤良平さんの公演のために作った曲で。この時期、何度も芝居のリハーサルを観に行ってたんだけど、毎日劇的にリハーサルが進化していくんですよ。で、〈今日は昨日より新しい〉〈明日は今日より新しい〉って言葉が浮かんで。実際にお芝居のエンディングで使われた時は、もっとアコースティックなアレンジだったんだけど、今回作り直したらちょっと打ち込みっぽくなって。中村くんのアイディアで、リズムをもともと別の拍で録ってたものを、ドラムだけ何拍かズラしてみたんですよ。それが今の独特なアフロビートみたいなリズムに劇的な変化を遂げて。アタマの位置を変えるだけでタイム感も変わるのが面白かったですね。あと、途中で入ってる子どもの声は、近所の幼稚園の子たちに手伝ってもらいました」

──7曲目「ぼくはぼくでいるのが」は、曲をキセル辻村豪文さんを手がけて、詞は永積くんと豪文さんの共作というクレジットになってます。

「この何年かでPCも使うようになって、思いついた言葉をなんとなくパパっと書いたりして、言葉の断片みたいなのが何百個もあって。それをどうしようかなって思ってたんですよ。でも、そのままだと断片すぎるから、これに何かを付け足してもらえないかなって思って、何十個か自分で選んだ言葉をキセル兄に送ったんですよ」

──その言葉の断片をもとに、豪文さんが曲として紡いでいった、と。歌詞にある〈ぼくはぼくでいるのが 時々疲れるな〉っていうのは、普通に社会生活を送っているとなかなか言えないことだと思うんですよね。個性を持ちなさいと言われ続けることで心を壊してしまう人もいるわけで。そこで〈時々疲れるな〉と歌われて気付きを与えられるだけでも、聴き手にとってどれだけ楽になれるものか。

「みんな何になろうとしてるのかなって、ふと思うんだよね。決して悪いことじゃないけど、今ってみんな、自分を伝えるってことが早くなってるじゃない?」

──SNSをはじめ、個人から発信することがしやすくなってはいますよね。

「それを伝えたり受け取れることって、ある意味ではいい部分もあるかもしれないけど、僕にはなんだか辛すぎて。自分が露になりすぎることが怖いっていうか、むしろノーマークでありたいっていうか……」

──そこも「無印良人」につながる(笑)。

「あ、そうだね(笑)。いや、常に印を貼っていける人ってすげえなって思うし。俺はやっぱ貼れねぇなって……自分には何にもないって思ってるから。まあ「ナンモナイ」って曲がスーパーバタードッグにもあったけど(笑)、何もないほうが強くねぇ?って思っちゃうんですよね」

──むしろ何もない時に残るものが、本当の個性なのかもしれないしね。

「何もないところを内観していくと、何かあるような気がするっていうか。形じゃないものかもしれないけど、その方が確かじゃね?って気がする。移りゆくものは移りゆく喜びとしてあるけど、自分の中にある沼のようなもの。そこからは誰も一歩も動けないし、それを抱きしめて生きていくしかない。で、その後に〈目の前の 君の食いものになって 消えられたら〉って続くんだけど、大切に想う人の中に自分が消化されていく喜びというのがあると思って。食物連鎖のようなものだよね。知り合いで畑をやってる人から聞いた話だけど、動物たちは食べた植物の種を身体の中に入れて、自分のテリトリーに好きな植物の種を落としていく。その種から出来る実は、食べた動物の好きな味になっていくっていうんだよね。つまり身体を通ったものの記憶が残されていくってことなんだよね。それって夢のあることだなって思って。記憶として身体の中に吸収される喜びっていうか、自分が好きなものの中の記憶に、一瞬でも通り過ぎれるっていう喜びって、すげえあると思うんだよね」

──8曲目の「おあいこ」は、野田洋次郎さんが作詞・作曲だけでなく、サウンド・プロデュースも手がけています。野田さんと出会ったきっかけは?

「RADWIMPもちょっと聴いてはいたんだけど、衝撃を受けたのはCharaさんに提供した「ラブラドール」(2008年発表のアルバム『Honey』に収録)。僕がCharaさんと一緒にシンディ・ローパーのトリビュート盤で「Time After Time」をレコーディングした時に、『最近作った曲なんだけど聴いてくれない?』って、まだリリースされる前の〈ラブラドール〉を聴かせてもらったんです。その時にこの人の感覚……言葉のスピード感や、言葉の向こう側に見える景色が、自分の感覚とすごく近いなって感じて。ただ、その景色はすごく知っているはずのものなんだけど、自分には見えない背中の部分を描いてるような気がして。それから野田洋次郎という人のことが気になりはじめて。そう思ってるとなんか出会えちゃうもんで(笑)。自分のよく行く飲み屋でセッションみたいなことしてたら、たまたま洋次郎が知り合いとフラッと飲みに来て。それから仲良くなったんです」

──永積くんのほうから、曲の内容についての提案はあったんですか?

「別にどういう曲を書いてくださいって言ったわけでもないんですよ。一緒に何度も飲んで、どういう歌がいいかって訊かれたんだけど、僕はまったくそれに答えてなくて(笑)。こういう曲を書いてくださいって言ったら、彼はその通りに書けるのかもしれないけど、僕は洋次郎に書いてほしいのはそういうものじゃなくて。俺がその曲を見たらビビって歌えねぇって思っちゃうぐらいの、ドバッと感情があふれ出てるようなものが出てくるはずだって確信してたから。その想いに応えるように、洋次郎はすごく真剣に時間をかけてこの曲に向き合ってくれて。彼が命削って作ってくれたことを思って、自分もこの曲に挑みましたね」

──この曲だけ、野田さんにプロデュースも一任しようと思った理由は?

「曲や音も含めて彼にとってのメッセージだと思ったし、そのほうが面白いと思ったから。やっぱり耳もものすごくいいしね。審美眼というか、ものをいい悪いって判断するスピードがものすごく早いんですよ」

──プロデューサーとしての野田さんから、具体的な指示みたいなものもあったんですか?

「この曲は洋次郎が考えたメロディだから、最初はメロディをきちっと当てて歌おうとしてたんだよね。そうしたら洋次郎が『初めて人に甘えるような感じで歌ってください』とか言うんですよ。『人前で歌ってるハナレグミの永積 崇は全部捨てて、もっと初めて人に告白するような感覚を見せてくれ』って。『たくさんの人に歌おうと思わないで、目の前にいる誰かに向かって歌ってるって思って』と言われて。そんなこと言えるって、すごくないですか?(笑)。やっぱり、洋次郎は詩人なんだよね。そういう言葉って、前後は自分なりに感情をつけていい言葉になる。そうすることで自分にとっても取り入れやすいから。『初めて甘えるように歌ってください』って言われたら、その先は自由が与えられてる。そういうひとつひとつの感覚にグッときて、歌も乗せられるっていうかね」

──歌詞と歌詞の行間に、自分なりの想いを自由に書き込めるような余白があるというか。

「洋次郎が『いろんな角度から永積 崇を観察しました』って言ってたんだけど、たしかに、自分では気付かないところを切り取ってくれた言葉が端々にあって新鮮に感じる部分もあるし、『うわ、それよく言われるわ』みたいな部分もあって(笑)。1行ごとに、これって女の子がこういう感じで言ってるなとか、いろんな人の顔がありありと浮かんでくる。そういう余韻が、言葉と言葉の間に入ってる。なんか上手く言えないけど、自分の中ではこの曲がひとつの映画みたいになっちゃってて。だから歌ってる時も、メロディのニュアンスをこういう風に歌おうっていうんじゃなく、そうならざるを得ないようになってるんだよね。やっぱりこれは確実に、自分の背中だなって思うし、もう一人の自分が書いた言葉だなって思ってる。だけど、僕には一生書けない曲で……自分の背中は自分では見えないっていうのと同じでね。でも、洋次郎はそういう曲を書きたいって言ってたし、それが書けるかどうか、考えさせてもらっていいですか?って、最初の打ち合わせの時から言ってた。で、その通りのものをちゃんと書き上げてくるってすごいよね(笑)。この人と会えて、本当によかったなって思うし、この先についての自分のヒントをもらったような気がします」

──そして9曲目の「Oi」。「ぼくはぼくでいるのが」から「おあいこ」、そしてこの「Oi」に続く流れは、アルバムの中でもクライマックスだと思います。

「今回入ってる曲の中で、一番古い曲かな。8年ぐらい前に作った曲で、一度弾き語りの形でコンピレーションに入れたことがあったんだけど、ちゃんとアレンジして出したいなってずっと思ってて。今までのレコーディングでも何度かトライしたんだけど、しっくりこなくて収録を見送ってた。だけど今回の編成とguzuri recording houseの音が、この曲にすごくマッチして。俺が探してたのはこの音だったんだなって思った。自分の場合は、言葉の中で勝手に想像してる景色があって。そこと合わせていくのに時間がかかってるのかもしれないね。単純にいいテイクとか、いいアレンジっていうだけでは解決できない、気配みたいなものが入ってくれないとしっくりこない。この曲については、なんか小さい時に見たおばあちゃんの家みたいな(笑)。今のこの瞬間がすごく昔のことのように感じるような、タイムマシーンみたいな音にならないと綺麗じゃないんだなって思ってたんだと思う。だから音像的には一番オフマイクというか、ドラムの音なんかはほとんどピアノとか他のパートに被ってる音なんだよね。遠くで鳴っている音のような、その静けさがすごく綺麗でよかったね」

──たしかに音の肌触りにも寂寥感があるというか。そこが、この曲の歌詞とすごく響き合ってる感じがします。

「この曲は自分の中でも、言葉と音が一番密接にあるように感じる。言葉が景色みたいになってるんだよね。なんかね、言葉も滲んじゃえばいいのになって思って。音の中に埋もれちゃうっていうか、時間が経つにつれてどんどん言葉がかすれていくような感覚……自分にとっては、そういうもののほうがリアルなのかもしれない。遠いものを想ってる時こそ、ふと近くに感じるような。「家族の風景」なんかもそういう曲なんだと思う。指の隙間からこぼれ落ちてゆくような……そういうものこそ、あって欲しいところにとどまるものなのかもね」

──〈君の麦わら帽子 雲に変わる この空を 君は誰と見てる〉なんてフレーズは、胸が苦しくなるほどにせつない。

「このあとがうまくいってるかどうかあいまいな感じが、また好きなところんだよね(笑)」

──エモーショナルな曲が続いたところで、がらっと雰囲気を変えてくれるのが、10曲目の「金平糖」。

「この曲では新たな試みとして、なんとなく書き溜めた言葉をそのまま変えずにメロディを当ててみたんです。メロディもすぐ出来たんだけど、なんてことなくてすごく好き(笑)。以前『帰ってから、歌いたくなってもいいようにと思ったのだ。』(2005年)をレコーディングしてる時に、鈴木惣一朗さんから『崇は歌詞にカタルシスが強いから、それがない歌があってもいいんじゃないか』ってよく言われてたんだよね。当時はその意味があまりよくわかってなかったんだけど、何も歌わない歌というか、ただ通り過ぎていく景色のような歌ってなんだろう?って、ずっと頭にあって。そういう感覚が、この曲でちょっと出来たかなって思う。通り雨みたいな感じの曲ですね」

──歌詞にある〈ころり生まれた金平糖 かなしみの金平糖 七色の金平糖〉〈さよならの痛み 噛み殺したら 甘さが広がった〉っていうのは、ちょっとトゲトゲしてる金平糖自体のフォルムから膨らむイメージの豊かさが面白いなって思ったんです。

「指が動くままに書いただけなんだけど、こうやって書いてみると、金平糖の景色が変わるのが面白い。最初はただの砂糖の塊だったのがね」

──スケッチっぽい曲ではあるけど、永積くんがスケッチする時、どこに着目しているか、どこを大事に切り取ってるかが、無意識に拾われてるような感じもします。

「だから多分、この中にかなり自分の素があるのかもね。僕にとって、せつなさや悲しみって〈色〉なんじゃないかと思ってて。それは以前に「あいのこども」っていう曲でも描こうとしていたことでもあるけど、〈愛〉と〈哀〉は昔の言葉では両方とも一緒だったっていうんだよね。歌詞を書いた原田郁子は〈かなしい ぼくらの うた〉というフレーズで、愛と哀はつながっていて、その中で僕らは生きてるってことを言いたかったんだと思う。本当に悲しいこと……人が殺されたとか、そういう悲しさはイヤだけど、愛しさが相まった哀しみを感じさせる色あいが、僕はすごく好きなのかもしれない」

──そんな永積くんは、以前にも「サヨナラCOLOR」って曲も作ってましたけども。

「本当だ!(笑)。でも、あのタイトルはギリギリで今日中にすぐタイトル決めてくださいって言われて、COLORをダジャレにしようって思って出てきたものなんだけど、自分の根本にある感覚っていうのは、ずっとつながってるもんなんだね(笑)」

──11曲目の「いいぜ」は、女の子の何気ない仕草を「いいぜ」って思いながら眺めてる歌だけど、これはハナレグミ版の「Wonderful Tonight」だと思いました。

「あ、そうだね! あの曲って、エリック・クラプトンがガールフレンドとパーティに行く前に、彼女の支度が遅くて待ってる間に浮かんだ曲なんだよね。だから〈いいぜ〉とか〈かわいい〉って思ってるのとはまた別な意味合いも入ってるんだろうね。だけど、ふと俯瞰でその光景が見えたからこそ生まれた歌詞なんだろうと思う。〈いいぜ〉って曲も、なんていうか皮肉とか悪い意味で言ってるわけじゃないんですよ。そういうところも含めて、女の子はかわいいなって思うんだよね。そういう意味でも、この曲は「Wonderful Tonight」ですよ(笑)」

──言葉遊びの感覚が入ってるあたり、「金平糖」の歌詞とも通じるところがありますね。

「これも〈金平糖〉と一緒で、〈いいぜ〉って言葉を使って何か書きたいなって思ったところからはじまって。レコーディングした日、俺とスタッフとエンジニアの3人しかスタジオにいなくて。今日何やろうかって話しあってる時点で、実は全然曲を用意してなかったんだよね。『何にもないのにスタジオ取ってもらってて、やべえどうしよう!』って切羽詰まってた時に出来たのがこの曲(笑)。でも、そのわりにすごく気にいってるんだよね。こないだとあるバーでこっそり弾き語りをして、この曲を歌ってみたんだけど、まぁ爆発的に盛り上がりました(笑)」

──12曲目の「360°」は、ハナレグミとして以前からカバーしている曲で、So many tearsとの『どこまでいくの実況録音145分』にもライブ・テイクが収録されていましたね。

「リリースされた当時から、アシャのファンで。タワレコのインストア・イベントを観に行って、その時にアラーキー(荒木経惟)さんの『さっちん』って写真集をプレゼントしちゃったぐらい大好きで(笑)。訳詞については、オリジナルの歌詞の意味をわからないうちに、自分のイメージで日本詞を付けたんです。イメージとしては男女の関係っていうよりは、八百万の神みたいな視点で俯瞰した感じ。自分も言われてるような感覚もあるし、誰に向けてっていうのでもないから、それでカタカナにしてみたんです」

──そしてラストを飾るのは、大宮エリーさんが作詞を手がけた「逃避行」。この曲は、ライブ・ヴァージョンになるんですね。

「実はこれとは別に、スタジオ録音によるバージョンも作ってて。そっちはわりとガッツリとアレンジをしてるんだけど、そのアレンジだと今回のアルバムのラストにはパンチが強すぎるなって思って。それは次のアルバムに入れようと考えてる。でも、今回についてはもうちょっとさらっと伝えたいなと思って、急遽知り合いのお店でライブ録音させてもらったんです。『What are you looking for』っていうアルバム自体、どこか内省的な部分が強いけど、最後にこうやって人がたくさん集まってるというか、そこに向かってることでもありたかったんだと思う。決して、ひとりぼっちで寂しいだけじゃない、いろんな感情がない交ぜになった感じ……そういう感情が、人との時間やざわめきと折り重りたい、街の喧噪にかき消されたいって思ってライヴ録音にしたのかもしれない」

──演奏終わった後、観客の拍手と歓声にまぎれて「じゃあ、2部でお会いしましょう」っていうMCが入ってますよね。

「まあ、あれはたまたま言ったのをなんとなく入れたんだけどね(笑)。最初に言ったように、今回のアルバムに収録した以外にも、まだたくさん録りためたものがあるし、今回のアルバムと次のアルバムはどこか一緒のような気がしてて。だから、ここで完結じゃなくて、まだ続きがありますよみたいな感じになればいいかなと思って」

──最後の曲も「逃避行」というタイトルで、やはり全体的に旅を感じさせるし、その旅はまだまだ終わらないという印象も残してますね。

「旅をテーマにするというつもりも全然なくて、曲をポンポン作っていっただけなんだけど、並べていったら自然とその方向になってて。FUJIKAYOさんの絵から付けた「What are you looking for」って、旅をしていると必ず出てくる言葉じゃない? 旅人に贈られる言葉というか……不思議とそういう感じになったよね」

──旅と言えば、完全限定生産盤のブックレットは、チェンマイでロケしたフォトブック仕様になってます。

「今回撮影してくれた写真家の関めぐみさんから、FUJIKAYOさんの絵の色あいが、タイのチェンマイからもう少し奥に住んでる山岳民族(マオ族)が使う生地の色づかいと近い感覚があるねってアイディアをもらって、それでチェンマイを選んだというのも理由のひとつ。あとは、関さんの撮る少し露出オーバーして白くなってるような写真が、記憶と現実の境目みたいで、今回の自分の感覚に近いなって思ってお願いしたのもあって、光量の多い、タイあたりがいいんじゃないかってね。日本国内でだと、地方に行ったとしてもどこかで日常とリンクしちゃうしね。やっぱり、ここではない何処かって感じが欲しかったから、それでチェンマイに行ったんです」

──これがまた、1泊3日の弾丸ツアーだったそうで(笑)。

「それでさ、現地でロケしてたらたまたま〈OASIS HOTEL〉っていうのを見つけたんだよ! そのカットもブックレットの中に収められてるんだけど、FUJIKAYOさんがくれた『オアシスは君の中にあるんじゃない?』っていうメッセージが、まさかこのチェンマイでつながるとは。これには、本当にビックリしたね(笑)」

──さて、長く話を伺ってきましたが、最後にもうひとつだけ。4年ぶりとなるフル・アルバムが完成して、永積くん自身としてはどんな作品になったと感じていますか?

「自分としてはすごく満足してます。一つ一つにちゃんと自分の熱が入れられてるのが嬉しいし、そういう時間を作れたのが良かったしね。〈What are you looking for〉っていう言葉をもらってから、俺はなんで音楽をやってるのかなって考えるようになって……まわりのミュージシャンやメッセージを伝えてる人を見て、すごくいいことを言うなって思うし、自分の好きなミュージシャンもみんなメッセンジャーなんですよ。ボブ・マーリィにしてもカーティス・メイフィールドにしてもそうだしね。そこで、俺って何が言えてるのかなって考えると、いつも『う~ん……』ってなってた。でも、俺がやっと強く言えることって、このアルバムに込めたようなものなんです。人を引っ張ってどこかへ導くようなものではなくて、音楽が流れてるその時間を、みんなと一緒に自分も共有するような感覚。たとえば好きな人に告白しようか迷ってる男の子が目の前にいたとして、その時間がものすごく上手くいくように歌を歌いたいっていうかさ。そうなれることが一番嬉しいっていうか、一番熱いって思えるものであってね」

──自分の歌が、誰かの気持ちや感情の触媒になるというか。

「そうだと思う。自分は、そういう風にしか音楽が出来ないというかね。その中で、自分なりの熱さを作っていくというか。ただ、それが癒しかって言われると、そういうつもりはまったくなくて。言い方が難しいんだけど……」

──たしかに、ハナレグミの音楽を聴いて、気持ちが楽になったり、肩の荷が下りたりすることはあると思うけど、永積くん自身、そのために音楽をやってるわけでもないでしょうしね。

「うん。究極的には、僕は聴く人を一人にしたいんだよね。みんなで気持ちを共有するっていうよりは、ライヴを観に来てワーッって楽しんでるんだけど、ある瞬間にものすごく孤独になるようなね。そういうエッジを立たせたいって思いながら、音楽を作ってる。それが一番平和で、リアリティをもったメッセージじゃないかな」

──永積くんの歌を聴いた時に感じる寂しさって、実は歌によって自分の中にある感情を引っ張り出されたものなわけで。それは共有といえば共有なんだけど、みんなもそうだよねっていう共感ではなくて、自分が持ってる〈個〉や〈孤独〉に気付かされることなんでしょうね。それこそ「祝福」の歌詞に出てくる、〈究極 孤独 幸福〉なんですよね。

「そうだね。その加減を、すべての表現において探ってるのかも。言葉は丸いけど、ある瞬間に感情が立体的になった時に……たとえば〈家族の風景〉って言ってるだけなのに、なんだろうこの悲しい感じってなったりさ。そういう想いが香り立つものにしたいんだよね。ライブをやってても、どこかそういう想いがあるし。その瞬間に、会場に集まった人たちそれぞれの感情がグランって揺れるような言葉や表現が、自分なりにあるような気がしてて……それは、昔からずっと変わらず考えてることなんだよね」

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